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後南朝とは
天皇家は実は二つある。
南朝と北朝である。
そして、北朝の天皇である明治天皇が、
南朝天皇家が正統であると正式に発言している。
後ろに見えるのは奈良・吉野にある南朝大本営である。
桜が美しいところだ。
この二つの天皇家は1392年、
南北朝合一を果たした。
室町幕府、第三代将軍足利義満のときである。
南朝と北朝で天皇を交代する両統迭立する約束をした。
しかし、室町幕府と北朝天皇家はそれを反故にした。
怒った南朝天皇家は吉野にこもり、
自分たちの正統性を唱えた。
これが後南朝である。
後南朝は正式な歴史書でも応仁の乱のときに登場する。
そして、後醍醐天皇は50人近い皇子を生んでいたため
実は全国に広がっている。
征夷大将軍・宗良親王は新葉和歌集で有名である。
征西大将軍・懐良親王は中国皇帝より
日本国王と正式に任命されている。
多くの皇子がいる。
その子孫が後南朝である。
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